私たちの会社では、兵庫県がつくってくれた専門家派遣制度(正式名称「東日本大震災に係るひょうごまちづくり専門家派遣事業」)を利用して、気仙沼市内の各所で震災復興まちづくり支援の活動をしています。
正式には、NPO法人「神戸まちづくり研究所」の一員として、上記制度を活用して被災地の支援活動を行っている形になっています。気仙沼チームのリーダーはまちづくり研究所の野崎さん。そして、私たち2名の3人チームで気仙沼に通っています。わが社的には、気仙沼に行くときは全社員2名が通っていますので、社をあげて被災地の支援のため気仙沼市内に通っていることになります。浅見は9月から毎月合計6回。小林は11月からの参加なので合計4回気仙沼に通っており、今後も定期的に通う予定になっています。
現地でどんなことをしているかというと、初期は主に仮設住宅を回って、仮設住宅の集会室で皆さんの不安や疑問をお聞きし、阪神淡路の震災の時はどうだったか、今後どんなことが起こって、そのための心構えはどうしておくべきか、などの話を皆さんとともにしてきました。
被災地、特に仮設住宅では圧倒的に情報が足りておらず、皆さんが不安に思っています。行政もなかなか一人一人の被災された皆さんをケアできるはずもなく、仮設住宅の皆さんは不安を抱えているところです。そんな場所で、私たちがじっくりお話をお聞きするだけでも皆さんの心の平安につながったようでした。
私たちが話したことや、地域の住民の皆さんが話したことを、できるだけその場で共有しながら、記録として残すために、現場でホワイトボードや黒板、ない場合には紙を使って皆さんの前で記録するという作業をしています。よく見ていただけると分かると思いますが、皆さんが様々な不安を持ちながら仮設住宅で過ごしていることが見て取れます。
皆さん、一緒に集まってこういった話をする機会もあまり多くはないそうで、こうして集まってお互いに話し合うだけでも、ずいぶんと心の平安を取り戻せるようです。
このように仮設住宅の集会室で、皆さんのお話を聞く活動は現在でも機会があれば続けています。一方、時間がたつと、地域住民の皆さんからはより具体的な心配や疑問が生じているため、それぞれの疑問に合わせて、国や宮城県、気仙沼市で取材した情報を分かる範囲で皆さんにお伝えするなどの活動も行っています。
9月10月は、仮設住宅の暮らしもようやく落ち着いたところで、あまり先のことを考える余裕もなかった皆さんの悩みは、時間が経つにつれ、具体的で詳細なものになってきました。
防災集団移転(通称:高台移転)の事業のルールや、現在建築制限のかかっている場所がこのあとどうなるか、土地の嵩上げはいつどうやって行われるか、移転促進地域ではもとの土地をいくらで買いあげてもらえるのかなどなど。私たちも、国の事業説明などから、ある程度の事業スキームは想像できますが、基本的に被災市町に任されているところが多く、市の計画が明確にならないと、はっきりしたことが言えません。
それでも、被災された住民の皆さんは、事業の概略ですら知らされていないことが多く、断片的な情報に振り回されている様子なので、「これはこんなルールで、市役所がこれを決めれば動き出す」ということが分かるだけでも一歩前進のように見えます。
いくつかの地区では、被災された皆さんが集まり、集団移転などの可能性を求めて勉強会を開くなどの活動をされていたりもします。話し合いの過程で、家を流された被災住民だけでなく、もっと大きなまち全体の問題として捉え、復興まちづくりを考えていこうという動きも出てきました。
私たちは「地域の住民の皆さんが、自分たちのまちの将来を自分たちで決めることができる」ことを最善だと考えています。皆さんの意見をじっくり聞いて整理して、皆さんにお返しすることが最大のミッションだと考えて活動しています。もしかすると「画期的な提案ができて、皆さんがそれに賛同して前に進む」ようなやり方が、見た目の復興には早道かも知れません。しかし、結論を急いで、これまで良好なコミュニティを維持してきた地域がバラバラになってしまっては、何のための復興か分かりません。
皆さんが情報をきちんと共有し、お互いの意見や希望を認めあって、その上でどんなまちを目指すのかを決める。迂遠に見えるこの方法が、おそらく最も実のある地域の復興になるのではないかと思っています。お邪魔している地域の皆さんは、もちろん一刻でも早く恒久住宅に移りたいと思っています。
市の復興計画も徐々に明らかになりつつあるようです。今後はもう少し気仙沼に通う頻度が高くなりそうです。
まだまだ、いろいろお伝えしたいことはありますが。今日はこの辺で。
またご報告します。
あさみ
2012.03.02