年末のご挨拶(2012)

皆さんお元気ですか?

毎年恒例だからと、年越しそばも食べ終わってパソコンを開き、年末のご挨拶を書こうとし、昨年と一昨年の年末のご挨拶を読み返してみて驚きました。年末のドタバタの中で、なぜこんな素敵な文章がかけたのだろうかと、本気で過去の自分を自画自賛したりしながら書き始めております。

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いつも申し上げていることですが、12月31日と1月1日の間の境目は、他の日々の境目と比べても、何も違うところはありません。おそらく猫に聞いたら分かると思いますが、この夜に特別な感情を付与できるのは人間だけですよね。人と猫とどちらが賢いかは知りませんが、猫のあの自由な様子を見ていると、大晦日や元旦を特別視する人間が、とても愚かなことにも見えてきます。
まあしかし、そこは私も人間。何かを区切って節目を付けずには生きられない生き物みたいです。そんなわけで、本年もご挨拶を申し上げます。

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さて、
会社を立ち上げて早くも3年が過ぎようとしています。ここまでこれたのは、ひとえに皆さんのご支援とご協力によるものと深く感謝しております。いや、ほんとに。

3年前に創業した時、人生の大先輩から「3年続けば大丈夫。その会社はモノになる」というお言葉をいただいたことを遠い昔のことのように思い出します。
そういう意味では3年をなんとか過ごすことができたことを、今は素直に喜びたいと思いますが…しかし。大丈夫と言われても、3年をどうにか過ごしてきて今思うのは、経済的にはほとんど進歩をしていないということ。

皆さんご存知の通り、私達はこの会社で大儲けをしたいとは全く思っておりませんが、毎年、年度末まで組織を維持できるかを心配して胃を痛くする現状は、できれば何とかしたいものではあります。

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さて、今年の最大の話題は2つ。1つは昨年末に皆さんにお伝えした「兵庫県東日本大震災に係るひょうごまちづくり専門家派遣」が続いていており、月に1度、気仙沼に通いつづけていること。計算してみたら、なんと1年のうち1ヶ月半以上を気仙沼で過ごしていることがわかりました。
そして、2つ目は(期限付きではありますが)我社に新たなメンバーが増えたことです。

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1年と10ヶ月前に日本を襲った「東北地方太平洋沖地震」は、太平洋沿岸をとんでもなく広範囲にわたり、想像するのも難しいくらいの被害を主に東北地方にもたらしました。今でも明瞭に覚えていますが、あの災害以降、私は、数週間にわたって身動きがとれませんでした。そしてその後「被災地の皆さんのために、何ができるのか?」という自問自答・苦悩の日々を送っていましたが、お声がかかったこともあり、私は昨年の9月から、小林は11月から、気仙沼に通っています。

気仙沼の現状といえば…見た目には災害後の瓦礫がようやく片付きつつあるという感じにすぎません。まだまた被災したままの建物も数多く残っていますし、流された建物の基礎もなかなか片付かずにいるところも散見されます。

防災集団移転の意思表示をする地域はほぼ出揃ったようではありますが、それとて実際の入居ができるのは平成27年。まだ行き先の決まらない仮設住宅暮らしの方も多く、災害公営住宅の建設も、その多くは平成27年までかかりそうです。防潮堤の計画は発表されていますが、これまで海に開けていた漁村集落の眼前に10数メートルの防潮堤が建設されることについて、まだまだ議論が必要そうにも見えます。区画整理事業も平成25年3月に事業認可を受ける予定ということで、実際に動き始めるのはもう少し先になりそうです。

そんな中で、私達が気仙沼に通って何をしているのかというと…

実は、自分たちが何の役に立てるのかと必死で考えながら、皆さんのお話を聞き、地域の皆さんと一緒に悩む作業をしているというのが現状です。仮設住宅でお伺いした言葉「ここにはとてもたくさんの人が来てくれたけれど、こんなに私達の話を聞いてくれたのはあなた達が初めてだ」という言葉が、とてもとても印象的でした。逆に言えば、私達には、皆さんのお話をきちんと聞くことしかできないとも言えると思います。

地域の皆さんの間や、皆さんと行政の間などに、利害のからまない第三者がいるだけでコミュニケーションが円滑になることがあるのは、兵庫県内の地元でも被災地でもあまり変わりません。そういった地域内コミュニケーションの潤滑剤として動くことも私達がしていることの一つです。ある防災集団移転協議会でお聞きしたお母さんの「私達は、行政に何を聞いたらいいのかも分からない。私達の疑問をこうして整理して行政に伝えてくれるだけでも助かります」というお言葉。これが示しているのは、そうした職能が(津波で家を失った地域の皆さんの生活再建のお手伝いをする上で)重要だけれど圧倒的に地元に足りていないということを示しているのだと思っています。

防災集団移転事業で、参加者の皆さんへの個別ヒアリングをしたことも、なかなか特筆すべき内容でした。災害により家を失ったご家族に、個別にお会いし、被災の状況や家計の状況・将来の希望をお聞きし、ローンの計算を一緒に行い、行政への要望などをお聞きしたことは、被災された皆さんの思いを受け止め、そして信頼関係を構築する上でとても重要でした。

そしてまた、我々のような潤滑剤的職能を、現地に育てるということも重要と考えています。実は、これはなかなか難しく、進んでいるとは言いにくいです。しかし、私達がいつまで兵庫県さんの支援を受けて現地に通えるか分からない以上、これに力を入れないワケにはいきません。現地で、できるだけたくさんの人達に出会い、私達のような存在が(場合によっては)とても役に立つということを、もう少し意識的にお伝えしていく必要があるとも感じています。

被災された皆さんの生活の再建という意味では、皆さんの仮設住宅での暮らしをいかに改善できるかということも重要な課題です。ひとくちに仮設住宅といいますが、そこでの暮らしは3年〜5年になるご家族も多く、そうした皆さんは仮住まいというにはあまりにも長く不便な暮らしを続けることになります。どなたかに伺った話か忘れてしまいましたが「家は仮設でも、人生までは仮設でない」という言葉が胸に刺さります。そこで長期に生活される人たちがいる以上、仮設住宅内での人間関係をどのように保つかということ、仮設住宅内での暮らしをどれだけ快適なものにできるかということはとても重要な課題であるといえるでしょう。

私達の活動の一つとしては、現地の「ボランティアステーションin気仙沼」に協力する形での、仮設住宅住戸内の結露問題解決の取り組みがあげられます。屋内に後づけで断熱材を付加するという工事を指導しているのですが、できればお住まいの皆さんが自力で施工できるような仕組みがよいと、その方法を現在模索中です。これについては、皆さんのお知恵をお借りしたいところでもあります。

まあ、とにかくこんな風に、苦悩しながらも少しずつ切り拓いているという状況です。いつか、まとめてお話をできる時が来るといいのですが…。

被災地域の話をし始めると長くなります。切りがないので、これくらいにしておきます。

でも、これじゃ、全然年末のご挨拶ではありませんね…。

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さて、2つ目の話題。
わが社に現れた新メンバーは福田楓さん。7月の終わりから、香美町村岡区の長須集落に住んでもらって集落のお手伝いをしていただいています。集落の草刈りや田植え稲刈り、自治会の会合やイベントなどのお手伝いをしてもらっている他、24戸の集落を全戸回っての個別ヒアリングを実施してもらっています。彼女の活動は「長須つくえ日記」として公開中です。ぜひこちらもご覧下さい。

彼女が行なっている個別ヒアリングでは、集落を出たお子さんたちは集落に帰って来れるのか。帰って来たいと思っているのか。できないとすれば理由は何なのか…などを尋ねています。ちょっと見れば自明にも思えるこの問いを続けることで、改めて地域の皆さんと、集落の将来を考えていく作業のとっかかりにできればいいなあと考えているところです。

長須では「奥さんをなくされたご主人が炊飯器の使い方も知らない」という問題意識から「男の料理教室」という事業を始めました。また、春から半年をかけて「長須 ふるさとを語る会」という事業も行ないました。これは、集落を出ていった人のうち、住所の判明している約120名に、集落の現状をお知らせするとともに、一度地元に帰ってきてもらい、皆さんでお食事をしながらふるさとについて語るというイベントです。11月に無事開催し、これが参加者50名の大イベントとなりました。

長須では、今後こうした取り組みをベースに、集落が将来どうなっていけばいいかを考え、実行していきたいと考えています。福田さんは(国の緊急雇用の事業を利用している関係で)わが社には3月までしかいてもらえませんが、4月以降も何とか長須集落で活躍してもらうべく、事業予算の獲得を画策しているところです。

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この他、兵庫県の小規模集落元気作戦では、同じく香美町村岡区の丸味集落、養父市大屋町の筏集落に通っています。また、村の将来検討支援事業として、香美町小代区の猪谷集落にも。

丸味では特産品の開発ができないかを模索しており、筏では田植え稲刈りに阪神間の皆さんに参加してもらうという活動が定例化しつつあります。また筏ではさらに、地元の醸造業者さんとのコラボレートのもと、ゆずを使った特産品づくりに着手したところでもあります。猪谷では、具体的な事業の立ち上げには至りませんが、今年の年末から集落の歴史年表を作成しようという作業に取りかかっており、これが何かにつながればいいなあと考えているところです。

昨年、地域の交流センターが竣工した養父市八鹿町馬瀬区は、今年の3月に小規模集落元気作戦を卒業した形になっています。でも、都市農村交流の事業は続いていて、私達のオフィスのある東灘区内の自治会さんとの交流お餅つき&野菜販売会は、今年の暮れに第4回目(4年目)を迎えることができました。うれしいことに、私達の手助けなく定例化しそうになってきています。また、馬瀬区から東灘の皆さんへの新米の予約販売は、わが社主催により、3年続けて来ましたが、来年も続けていければいいなあと考えています。

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はあ。長くなって来ちゃいました。もう少しおつきあい下さい。

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今年は、神戸市さんのお仕事が多くなって来たことも特筆すべきことかもしれません。
お世話してきた地域での建築協定の更新が決定したこと、もう一つの地域でまちづくり協定の更新が来年の2月と決定したことなど。

これらは昨年からの継続事業ですが、今年は新たに地元東灘区内の4つの地域で、地域津波防災計画の策定に関わることになりました。気仙沼で見聞きした津波被害についての知識が神戸市内で役に立つという不思議な縁を実感しています。

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建築設計の話も

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実は、わが社は建築設計事務所。ここまで、地域コーディネーターのお仕事が途切れることなく続いていて、なかなか建築設計にコミットできずにきています。しかし、私達の職能が十分に生かせる業務があるとすれば、それは建築設計業であるという思いは変わらず持ち続けています。

幸いなことに、2年前に竣工した「元町映画館」の業績が順調だそうで、2期工事として2階ロビーを新設されることになったそうです。今年、設計のご発注をいただき、工事は年末にほぼ完了したところです。1月中ぐらいにはオープンできる予定。お手伝いしたお仕事で、2度めのご依頼をいただけたことは、本当に光栄でありがたいことだと感じています。

2期工事は小林が担当し、全ての図面を小林が描き、監理も小林が行うプロジェクトとなりました。私はできるだけ手を出さずにきましたが、おそらくこれが功を奏して、なかなかシンプルで素敵な建物になりました。おそらくこれから、こんな形でお仕事を進めることが増えそうです。

元町映画館は、元町通商店街の4丁目にあります。なかなか素敵な映画を毎日上映していますので、皆さんぜひお足を運んでいただければと思います。よろしくお願いいたします。

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できれば来年は、少し建築設計のお仕事に軸足を戻して、業務ができたらいいなあと思っています。
コミュニケーション能力と設計の技術力には自信がありますので、皆さんどうかご相談下さい。

お仕事お待ちしています(笑)

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はあ、長すぎですね。

地域支援のお仕事で、佐用町の2地区にお伺いしていたり、エコ住宅の計画で某市役所のお手伝いをしていたり、代表浅見の講演がなかなか好評だったりと、まだまだお話したいことがたくさんあるのですが、それはまたおいおいご披露したいと思います。というか書いていると年を越してしまそうなので…(笑)

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長々と失礼いたしました。この挨拶。年々長くなるんでしょうかね?(誰か止めて下さい)

皆様、本年も大変お世話になりました。こうしてお仕事が続けていられるのは、皆様のご支援・ご協力あってのことと深く感謝申し上げます。

そして勝手ながら、来年もまた、皆さんの叱咤激励、ご指導ご鞭撻をいただけますことをお願いして、年末のご挨拶といたします。ぜひみなさん、良いお年をお迎え下さいませ。

浅見雅之

100以上のまちづくりに関わった専門家が 日本全国、どこにでも
お伺いします。

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