最近、建築家の藤村龍至さんの話が面白いとよく聞いてました。知り合いから、藤村さんのお話を聞ける機会があるといわれ、それは是非にと思ってお話を聞きに行ってきました。藤村氏のお話のうち超線形の部分については、すでにその1で「こば」が書いている通りです。
なんとなく超線形とか、批判的工学主義とか、Google的建築家像だとか、なんか派手な言説に惑わされて見失ってしまいそうになりますが、基本的に藤村さんが述べているのは、建築家と施主のコミュニケーションの方法論なのだろうと感じました。
一つ一つの問題を解決する作業を通じて、アルゴリズミックに手を動かすと建築ができる。という考え方に、大人たちはついつい「そんな公式めいたことで一意に建築ができるハズがない」と反応を返してしまうのですが、藤村さんは実はそんなことは全く言ってない。より簡単な考え方を使って、より良く、複雑で、恣意的で、うまくいけば美しい建築を設計しようという考え方だったように思います。一意に建築の姿を決めようというものでは全くない。
まあ、それはいいや。
建築の設計って、考えなくてはいけないことが多くて、お施主さんの希望や好み、持っているイメージの他にも、より使いやすい配置や寸法を見つけ出すこと、構造や設備との整合性、各種の法律による規制、周辺の環境、周りの人達の反応、お施主さんの友人や親戚の意見、新築で建てるのがいいのか・既存のリノベーションがいいのかという判断、美しいか美しくないかの判断、などなどなどなど、それはそれは頭が痛くなるくらい多くのことを一度に解決しなくてはならないので悩ましい。
設計にはある程度のスピードも要求されたりもします。そういう視点からは、500案考えて最良の1つを見つけ出すという途方もない努力をするならば、その最良の1案に1発目で辿りつけたらいいじゃんね?という考え方も出てくる。でも、現実には一足飛びに最良の答えが手に入ることなんてなくて、試行錯誤の過程で気づくことを積み重ね、その積み重ねがモノのカタチを決めて行ったり、寸法を決めて行ったりする面もある。悩みながらじゃないと答えにたどりつけない。
で、その悩む過程を、アルゴリズム的に(あるいはGoogleの検索順位システム的に?)解決していこうという藤村さんの言説は、確かに注目に値すると思います。枝分かれもジャンプも後戻りもしないことで、一つ一つを決めて先に行くという方法は、意思決定のためのコミュニケーションのやり方としては有効なのだろうなと感じました。
そう決めて進めたところで、私なんかは「戻りたいー」とか叫び出しそうなので、向いてないかなあと思ったりもしますが(笑
さて、一方で、そういうやり方で藤村さんの設計が成立している根本には、藤村さんの類まれなコミュニケーション能力が隠れているような気がします。超線形とか批判的工学主義などのキレイな言葉の奥には「建築設計に重要なのは、関わる全ての人々とのコミュニケーション・対話なのだ」というメッセージが隠れているような気がしたのです。
なるほど、やっぱりコミュニケーションって大事なのよね。ということが確認できたという意味で藤村さんのお話は大変興味深かったです。今後の藤村さんに期待したいのは、そのコミュニケーション・対話の部分を手法化するところじゃないかなと思います。
「人・まち・住まい研究所」は、コミット能力・コミュニケーション能力にかけてはそれなりの自信を持っています。お施主さんや関係の皆さんとどうコラボしていくか、皆の思いをどう設計に反映していくか、世の中の様々な価値観とどう折り合いをつけて行くか、そこのところに手腕が問われているのだろうなあと改めて思った晩でした。
あさみ
2010.04.19