住環境倫理① 倫理とはなにか

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摂南大学 理工学部 住環境デザイン学科

「住環境倫理」第1回 講義内容

◼人生は課題解決の連続

みなさんが社会に出て活躍する現場では、解決しなければならない難しい課題に出会うことがある。もちろん学生である今だってそうかも知れないけど…。社会で生きることとは、こうした課題の解決の連続であるとも言えるかもしれない。

●旗上げアンケート①「遅刻しそうな朝」

例えば、今日の朝寝坊したとする(笑)

今、飛び起きて急いでしたくをして電車に飛び乗れば、住環境倫理の授業にぎりぎり間に合うか、ちょっと遅刻するかも知れないけど授業には出席できそうだとしよう。
この時、

①「ガバッと起き上がって、したくをして走って電車に飛び乗る」
②「ちょっとぐらい遅刻しても浅見先生なら大丈夫だから、普通に学校に向かう(遅刻)」
③「まだ1度も欠席してないし、1度くらい欠席しても構わないだろうと思って2度寝」

いくつかの選択肢があるよね(笑)

いずれにしても、これからどうするかを決定しなければならない。というか、何かしらの決定をするわけですよ。大げさなようだけど、人生はこういった課題解決(あるいは決定・選択)の連続なわけ。

この例の場合、決定の背景には、今日の体調とか、気分とか、昨晩飲みすぎたとか、最近失恋したとか…。いろいろな事情があると思う。どれをどう選んでもいい(まあ、個人的には「遅刻しないで出てこい!」と思うのだけど…)

さあ、旗をあげてみようか。

この旗上げアンケートが素晴らしいのは、ただ質問をしてもなかなかみんな答えないのに、旗を上げてもらうと上げた番号の理由をみんなが話すようになることです。無口なみんながかなり話をし始めるので結構面白い。

さあ、旗を上げてみよう。



この旗上げアンケートのもう一つ面白いところは、少数意見を黙殺しないというところにもある。

みんなは多数決が民主的だと思っているかも知れないけど、実はいきなり多数決というのは、とんでもなく乱暴な方法だ。もしかしたら、少数の意見の中にとても大事な視点が隠されているかも知れないのに、それをいきなり無視して、「多いから正しい」とすることの理不尽さに気づいてほしい。

多数決をとるなら、きちんと全員の意見に耳を傾けたあとにしてほしいと常々思っています。ちゃんと議論のできる人たちは、そうやって多数決を使っているんだ。そこが大事なんだよね。

さて、少数の意見の人の話を聞いてみよう。

その他と答えてくれた人は誰かな?

「天気による」「電車じゃなくバイクで行く」…なるほど。面白いね。

さて。

◼課題解決の総合が、人格を示す

実は、こうした人生における膨大な数の課題解決(あるいは決定または選択)を総合したものが、他の人からは「あなたらしさ」として映るわけです。つまり、課題解決の方法は(他人から見た)人格そのものであると言ってよい。

この「課題解決をする(決定・判断をする)」ための根拠が「倫理」だ。というように考えてみるとどうだろうか。というのがこの授業の根底にある。きみの決定、つまりきみの倫理観が、きみの人格を形成してると考えてみて欲しい。

ああ、もしかしたら全然別な選択肢があるかもね。「同じ住環境倫理をとっているあの人に会えるからウキウキ授業に行こう!」っていう、次元の違う理由で遅刻せずにやってくるのもアリ。まあ、そういう人はそもそも寝坊なんかしないかも知れないけど…(笑)

◼社会に出ると、事情が少し複雑になる

話を元に戻します。
倫理の話です。

(実は、ここまでは話が簡単なのよ)

この例だと、結局自分の問題でしかないよね。学校の友人たちに「またあいつは遅刻したよ」と思われるかも知れないけど…まあ、自分自身の問題で済む。べつに誰に迷惑をかけるわけじゃない。(いや、何度も言うけど「遅刻しないで出てきてね…」)単位を落としたって、それはそれで自分自身の問題にすぎない。

他にも、例えば「お昼ご飯に何を食べようか」とか「今日電車の中で読む本はどれがいいかな」とか。そういった決定・選択はあまり他の人に影響を与えることがない。そういう決定はそれほど難しくない。いや、もちろんそういう決定もきみの人格を形成するものの1つではあるのだけど。

でも、社会で出会う課題ってのは、もうちょっと難しい課題が多くなりがちです。なぜなら、それは1人の意見では決められないことが多くなるから。それともあるいは「1人で決めたとしても影響を及ぼす範囲がものすごく大きくなるから」と言い換えてもいい。

●旗上げアンケート②「施工ミスを発見したらどうするか?」

また、例を出して話をしよう。

あなたはマンション建設現場の現場監督です。今日の午前中9時からコンクリートの打設が予定されています。あなたは現場監督として、今朝8時前に現場に来て、コンクリート打設前の現場をチェックしていました。すると、明らかに鉄筋の量の足りない梁を発見してしまった。
これを修正するには、鉄筋屋さんを手配する必要があって、9時の打設には到底間に合いそうにないし、もうそろそろ生コン車は生コン工場を出発する頃です。
一方、工事は全体の行程がギリギリで、躯体工事で1日たりとも遅れを出せば、竣工が遅れ、施主からは違約金を請求されるなど、自分の会社に迷惑をかけてしまう。普段は会社からも「絶対に工期を遅らせることのないようにしろ」と言われています。それに、生コンも今日キャンセルしたら無駄なお金がかかって、これも損失になってしまう。
さあここであなたは現場監督として、課題の解決(決定・選択)を迫られています。

どんな選択肢があるだろうか。

①「きっと大丈夫なので見なかったことにして、コンクリート打設を予定通り行う」
②「鉄筋量が足りないと問題なのでコンクリート打設を延期し、鉄筋工事をやり直す」

選択肢は他にもあるかもしれない。どんな判断をしたとしても、その判断の結果は自分の処遇に影響を及ぼすばかりか、自分以外の多くの人に多大な影響を及ぼすことは明らか。

そこが「今日授業に出るか」や「昼に何を食べるか」などと全く違うところです。

意外と簡単じゃないでしょ?
さあ。きみたちならばどうするか、考えてもらいたい。

倫理の授業だから、きっと②が正解だろうっていう判断はなかなか鋭いけど、もう少し問題を自分の内面に引寄せて考えてみて欲しい。②を選べば会社に大損害をもたらすことは明らかで、その額は100万円や200万円ではなく、きっと数千万円の損害になる。現場監督としてそんな額の責任がとれる?

自分だったらどうするか。ちょっと真剣に考えてみてほしいのよ。

また旗をあげてみようね。

この旗上げアンケートのさらに良いところは、他の人が何を上げるかを見ずに、一斉に旗を上げることにもある。地域の自治会の会合なんかだと「自治会長が②をあげてるから私もそれにしとこう」という判断をしがちなことがある。それでは面白くないよね。だから、この方法はそこの問題も解決できる方法だ。他の人の旗を見ずに一斉にあげてみよう。

みんなが自分の気持ちに正直に旗を上げられるためには、どの番号の旗を上げても怒られたり、非難されたりしない環境が必要だ。

だからこの授業の約束として、この場で何を言っても、怒らない・避難しない・他人の意見に耳を傾ける。ということにしよう。

さあ、旗を上げてください。

①コンクリート打設は予定通り行う
②コンクリート打設は延期する
③その他


②が多いね。なんとなく倫理的な授業になってきたなあ(笑)

まあ、ただし、ここでも少数の意見を聞いてみよう。

①みなかったことにすると答えた人は?

「あとあと面倒になるのを避けたい」「指摘したらあとで大変そう」「そんな金額、自分では責任がとれない」

なるほど、みんな共感できるね。

じやあ、③のその他は?

「頼れる先輩に相談する」「僕なら工期を遅らせずに解決できるかも」

なるほど。素晴らしい。みんなよく考えているね。

◼世の中は答えのある問いばかりではない

これから15回にわたる授業では、正解のない問題を扱うことも多いのだけれど、実は、この事例には正解がある。日本建築学会の倫理委員会がパンフレットを出していて、そこに「こういう場合はこうすべき」ということが書かれているので、これを紹介しておくね

https://www.aij.or.jp/jpn/comm/rinri/rinrikyouiku2.28/images/pamphlet.pdf

正解は③その他で、「すぐに上司に伝えて判断をあおぐ」ということになっています。

ええ?それじゃあ根本的な解決にならない?と思いませんでしたか?まあ、その気持は分からないではない。

でも、損害が出ることの責任を取れない立場の人が判断するよりも、責任を取れる、あるいは取るべき立場の人に判断に加わってもらうというのは、組織で仕事をしている以上、最善の方策であることは確かです。

さて。これは、建設現場での話でした。

実は社会に出ると、これよりももっと悩ましい課題に向き合う機会が発生することも多いです。

●旗上げアンケート③「救命ボートの倫理課題」

例えば…

いきなりありえない状況に君たちを追い込むけど、まあちょっと気持ちを切り替えて、この状況に入り込んで、自分の問題として考えてみてほしい。

倫理学の例としてよく出る例で、かなり有名な問題です。知ってる人もいるかも知れないね。救命ボートの問題です。やってみよう。

「船が沈没しました。皆さんは60名まで乗れる救命ボートに乗っています。もう既に50人乗っているので定員で見ればあと10人乗れる。でも、さらに海に投げ出された人が80人いる。60人乗りのボートに110人乗るのはどう考えても無理がある。」

この場合、とりうる選択肢は以下のようなものが考えられます。どれを選ぶか考えてみてほしい。

①全員を乗せて、船は沈没する。
②10人だけ乗せる。
③良心に訴え、救命ボートから何人か降りてもらう
④安全をみて50人乗った状態でその場を離れる。
⑤その他

本気で考えると難しいね…(私だってこんな状況に陥るのはイヤだ)

さすがにこの問題は、あまり経験しそうにない状況かもしれないけど、こうした状況に置かれたときに自分がどんな理由でどんな判断を下すか?ということは、1度考えておいても無駄ではない。

さあ、旗をあげてみよう。


おお。

①を上げた人の意見を聞こう。

「もしかしたら全員助かるかも知れないから、まずは全員を助けようとしたい」

なるほど。浅見個人としてはとても共感できます。実は私もこの問題を出されたら①を選んじゃう人です。きみにはとても共感できるよ。

⑤も少数意見だね。聞いてみよう。

「まずはボート上で話合いをする」

なるほど。それも倫理的かも知れないね。そんな状況で話合いができるかは別として、一つの案としてはあるよね。

「そんなにたくさん乗ってたのならもう一つぐらいボートはあるはずなのでそれを探す」

なるほどなるほど。冷静だね。それも一つの方法だよね。

こうやって聞いていると楽しいね。いろんな人がいろんな意見を持っている。これこそが世の中の楽しいところだ。

ここで言いたいのは、こうした状況で判断をする時のきみたちの判断基準のひとつがきみたちの中にあるそれぞれの倫理感であるということだ。もう少し踏み込んで言えば、きみたちそれぞれが、なにが「正しい」と思うかということが判断の基準になっていると言えるのではないかな。

◼これから倫理の授業であつかう「正しさ」について

倫理ではこの「正しさ」を扱います。

みんなに答を出してもらって分かるように、人それぞれに何が「正しい」と考えるかはそれぞれ違っているよね。自分が「正しい」と思うことと、他人が「正しい」と思うことは違う可能性が高い。さらには、社会が「正しい」としていることも違うかもしれない。

さあ。「正しさ」ってなんだろう。

この15回の授業では、それをみんなで考えていこうと思う。私が住環境にまつわる様々な課題について話題提供を行い、そのテーマで、何が「正しい」のかを考えてみようという試みなのよ。

答を出すことが大切なのではなく、答を導き出そうとして、友人や先輩・後輩や、先生や、ご両親などと対話し、考えて、苦しむことが、きみたちの人生の大きな糧になると信じてこの授業をデザインしていこうと思っています。ぜひ、積極的に参加してほしい。

残り14回の授業では、12のテーマと2回の演習を行います。今年の12のテーマは次の通り。

都市景観|歴史的建造物保存|市民参画社会|災害復興|環境共生|人口減少社会|限界集落|オールドニュータウン|リノベーション|建築デザイン|高齢化社会|建築法規

それぞれに、興味深い話題を提供しようと思っているので、楽しみに出席してほしい。(くれぐれも遅刻しないように(笑))

100以上のまちづくりに関わった専門家が 日本全国、どこにでも
お伺いします。

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